プロセスやツールよりも個人と対話を

まず始めは「プロセスやツールよりも個人と対話を」です。

アジャイルソフトウェア開発では、対話によってコトが進んでいきます。

私はこの宣言がアジャイルマニフェストの根幹を担う最も重要な宣言だと思っています。

interaction

日本語版では「個人と対話」と訳されていますが、私はその原文に着目しました。原文を下記に引用します。

Individuals and interactions over processes and tools

特に対話と訳された部分は interactions という英単語が用いられていることが確認できます。

日本語の対話という単語に対しては、dialogue という英単語もあります。

しかし、この宣言文の中では dialogue という単語は用いておらず、interaction という単語を選んでいます。

私はここに作者の何らかの意図があるように感じ取りました。

interaction という英単語は複数の語源で構成された英単語です。

inter- が「間の」で、act が「行う」、-ion が「こと」「もの」といった語源になります。

各語源の意味を組み合わせると、interaction の和訳でよく用いられる「相互作用」という意味が浮かび上がります。

日本語では対話と訳されているものの、対話は相互作用の一つの方法であって、この宣言で言う interaction とは、もう少し幅のある意味を指しているのではないかと私は感じましたので、この本の中では対話ではなく、相互作用と訳し、拡大解釈することにします。12

無知の知または不知の自覚

古代ギリシャの哲学者であるソクラテスは、デルポイの神託にて、「アテナイにおける一番のソフィスト(知者)はソクラテスである」という託宣を受けました。

しかし、ソクラテスはその託宣を受けて「知らないことがたくさんある私が一番の知者であるはずがない」と考えました。

ただ、ソクラテスは気づきます。

「知らないことを知っている」ことが知者である条件であると。

同じく東洋でも、論語の伝えるところによれば、これとほとんど同じようなことを、孔子が言及していたようです。

之を知ることを之を知ると為し、知らざることを知らずと為す。是知るなり。

対話をすることによって、不知を自覚できます。

自分の知らないことが相手から学べたり、知らないこと、学ぶべきことを知ることができます。

私は高卒で社会人になり、運良く知識労働者になりましたが、学歴という足かせが、「私が社会で出会うすべての人々は総じて私より優秀である」という前提に立たせてくれました。

それが、不知を自覚させ、プログラミングを始めとして、多くのことを学ぶ動機をもたらしてくれていたことに後になって気付きました。

不知の自覚をしているにも関わらず、他者に教えを乞わないという態度は「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」ということわざでも諌められている通り、褒められたものではありません。

自戒の念を込めて言いますが、自分が知らないことについては、相手に教えを乞う姿勢も大切だと思います。

余談になりますが、私が以前携わっていたプロジェクトで、ソクラテスのようなスクラムマスターのいるプロジェクトがありました。

彼は何か問題が発生した時に、その課題を解決するための答えを決して言わない人でした。

「なぜそう思う?」「どうしたら良いと思う?」という問いをひたすら投げかけ、チームメンバーに答えを考えさせました。まさにソクラテスの問答のようなものです。

「あの人は答えを知ってるのに教えてくれないから、時間が無駄になる」といった批判も出たことはあったものの、その当時はいろんな問題についてよく考え、チームで議論し、チームなりの結論を出し、日々脳みそに汗をかきながら仕事に取り組んでいました。

振り返ってみるとあのプロジェクトに携わるメンバーは、皆が生き生きしていたと感じます。

そのプロジェクトを通して、対話をうまく活用するとプロジェクトに息が吹き込まれるということを知りました。

弁証法

次に弁証法という対話の手法について紹介します。

弁証法は哲学の分野で生まれた言葉で、ドイツの哲学者であるヘーゲル (1770年-1831年) によって定式化された手法のことです。

ある命題 (テーゼ) が与えられた時に、そこに含まれる矛盾が、否定の命題 (アンチテーゼ) を生み、両者が抱える矛盾を克服 (アウフヘーベン) した高次な結論 (ジンテーゼ) が導き出されるというものです。

この三者の関係のことを弁証法的関係とも言います。

弁証法

さらに弁証法におけるこれらの関係は 1 サイクルで完結するものではなく、ジンテーゼが新たなテーゼとなり、新たなアンチテーゼを生む、と言った具合に螺旋的に発展していくものであるとされます。

このことを弁証法的発展と言ったりもします。

弁証法

具体的な例をあげてみましょう。

最近 PMBOK 第7版が話題になったことが記憶に新しい3ですが、これを弁証法に当てはめてみましょう。

まず、第6版までの PMBOK、つまりウォーターフォール的なプロジェクトマネジメントの方法論をテーゼとします。

そこに、計画通りには物事は進まないというメッセージと共に、アジャイル的なプロジェクトマネジメントが生まれました。

これが PMBOK に対するアンチテーゼです。

この両者の方法論が総合され、高次な結論 (ジンテーゼ) として生まれたものが PMBOK 第7版です。

弁証法的発展で捉えると、アジャイルもまた PMBOK 第7版と相互作用し、さらなる発展の可能性を残している可能性もありますし、両者の矛盾を克服した、まだ発見されていない新たなプロジェクトマネジメント手法が生まれる可能性もあります。

重要なことは、弁証法を使って何かの命題に対して高次な結論を導くためには、アンチテーゼが必要であり、そこで止まることなく、考え抜き、新たな解決策を模索する必要があるということです。

アンチパターン

「私達はスクラムを実践しているので、アジャイルを実践しています。」と言ったり聞いたりすることがあります。

先のチャプターで書いたとおり、アジャイルマニフェストが憲法であるならば、スクラムは法律です。

単にスクラムを実践しているだけではアジャイルとは言い難く、スクラムの各スクラムイベントが、対話を促すイベントになっていなければ憲法違反2とも言えるでしょう。

アジャイルマニフェストを尊重していない形だけのスクラムは「個人と対話よりもプロセスとツールを」になってしまっているのではないでしょうか。

以前携わっていたスクラムを実践しているプロジェクトでこんな話がありました。

ある日、アジャイルコーチとして外部に派遣されることもある先輩社員が、そのプロジェクトのデイリースクラムの様子を遠くから見ていました。

そして近づいてきて一言、「お通夜みたい」とその様子を揶揄しました。

「そんなスクラムならやめてしまえ」ということを言いたかったんだと理解しました。

その後、このプロジェクトではその反省も踏まえ、様々な改善を取り入れて対話が生まれるようになり、皆が自分の意見を言える心理的安全性の高いプロジェクトへと変革しました。

対話のないスクラムというアンチパターンです。

個人との相互作用

話を相互作用に戻します。

相互作用とは相互に作用するわけですから、個人の一方、または両者が受け身では成立しません。

他者の考えや行動があなたに作用するだけでは相互作用とは言えず、あなたの考えや行動を他者に作用させて初めて相互作用と言えます。

相互作用は弁証法的発展を生みだすキッカケになります。

ここで架空の例を上げてみましょう。

スクラムなどでよく言われるように、プロジェクトを成功に導くためには、チームメンバーそれぞれがクロスファンクショナルな人材でなければならないという命題が与えられました。

チームメンバーの A さんは、フロントエンドは得意なものの、バックエンドは全然できなくて、逆に B さんはバックエンドは得意なものの、フロントエンドは全然できません。

これはクロスファンクショナルな人材でなければならないことに対する矛盾であり、アンチテーゼとなります。

この両者の矛盾を解決するための解決策を考えます。

例えば、しばらくの間、A さんと B さんとでペアプログラミングを実施し、お互いの得意分野を互いに教えながら仕事に取り組むという解決策があります。

この解決策がアウフヘーベンとなり、プロジェクトは前に進みつつも、A さんと B さんは互いに不得意な分野をある程度こなせるようになりました。

個人と個人の相互作用によって、個人同士が弁証法的発展を遂げる例です。

この原則から学べる仕事をするうえで大切なこと

最後にまとめです。

この原則からは、自分の意見を効果的に相手に伝えることができ、相手の意見に耳を傾けることができる、自律的で他者を尊重できる人間になることを学ぶことができます。

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先のチャプターで書いたとおり、この本では原理・原則の縮小解釈・拡大解釈・誤解釈は歓迎であるというスタンスを取っていますので、世間一般的に正しい解釈であることは保証しません。
2: 日本語訳を批判しているような感じになってしまっていますが、この日本語訳をした人物は弊社社長の平鍋でした... もし、近く話すタイミングがあればその真意について問うてみたいと思います。
3: 界隈がざわつくほど超進化したPMBOK第7版の解説【プロジェクトマネジメント】